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bLOG @ find the edge

僕を取り巻くいくつかの輪の中で、愚直なまでに考え、想う。形を成さない何かを探しながら。
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正しさの証明
自分が正しいと願うからこそ、他人の脚を引っ張る。
自分が正しいと信じるからこそ、同意を求める。
自分が正しいと思うからこそ、他の存在と戦う。
やり方は人それぞれで、正解なんてものは存在しない。
みんながみんな、己が正しいと思うように行動し、己に正直に発言する。
それでいい。
全てが始まるのはそれからだ。
老人と巨木

ウォーキングの歩数を稼ぐために、泉岳寺駅から歩くようになって早数ヶ月。
通勤経路の途中、都営地下鉄泉岳寺駅からすぐのところに、高輪大木戸跡というのがある。
ゴチャゴチャした説明書きは読んだことがないけれど、どうやらここは江戸時代の東海道の
江戸出入り口にあたるところらしい。
その名の通り、巨木が立っていて、周りの風景から少し浮いた感じのする不思議な場所。

今日は徹夜仕事明けで、昼頃には上がらせてもらった。
さすがに一睡もしないで、殆ど休み時間もない仕事だと、この歳には堪える。
特に歩き始めてからは朝型の生活に慣れてしまっていて辛い。
そんな怠さを感じながらトボトボと泉岳寺駅に向かって歩いていると、例の大木戸のところで
これまた不思議な光景に出会った。
まるでスタジオジブリの映画に出てきそうな光景。
ボコボコと地面から顔を出している巨木の根っこに、作業服姿の老人が1人、腰をかけて休んでいる。
静かに目を閉じて、生温い風を感じながら。

明日からは通常業務。
先週末からの研修、週明けの深夜勤務で溜まってしまった仕事をはかさないと。


深夜の怪談

なんじゃこりゃ(ToT)

実家土産

1週間遅れの父の日で実家に帰ったら、先週は母親が寝込んでいたが今週は父親が寝込んでいた。
実家で細々とした用事を済ませて、持ちきれないくらいの土産をクルマに積んで帰宅。
…ん?

実家で母親が探していた体温計が、まさかこんなところに入っているとはね(笑)


【稽古日誌2009#028】
今週も中学生以上は大会で不在。
小学生相手のリハビリ稽古。

●M剣友会
(S薗先生)
・右小手をカバーしようとして逆に小手が目立ってる。
・半身になりすぎ?

地稽古まで全力で稽古しても、殆ど腰にくることはない。
が、どうも復帰以来、体が開きすぎているようで、今日は地稽古で小手ばかりを狙われた。
悪いことばかりかといえば、そうでもない。
良かったところと同じくらい、変な癖もリセットされているような気がする。
もちろん、出来なかったことが出来るようになっている訳ではない。
地道に、地道に。
前提条件
木、金と参加してきた研修の内容は、主に「エナジャイズド・コミュニケーション」というものだった。
自分も、相手も元気になるコミュニケーション。
着任以来、ずっと心がけつつもなかなか実現できなかったこと。
普段の業務から強制的に切り離されて、純粋に考えるにはいい時間だったと思う。
ただ、座りっぱなしだったのが祟ったのか、週末から疲れがたまっているのか、腰の調子が芳しくない。
ウォーキングをしてみても、モヤモヤした感じは取れないので、午後からは研修の教材を
引っ張り出してきて、横になりながら復習することにした。

気になっていたのは、「答は相手の中にあると信じる」という一節。
誰もが成功体験や失敗の教訓から、出すべき答はもっていると信じたい。
だが、自分の場合には、経験が全てなところがある。
経験が無いことについて、「頭でっかちではない」答は出せるのだろうかという疑念がぬぐえない。
知識によってのみ導き出せる答は、共感しにくいことが多い。
現場を知らない人間が叫ぶキャッチフレーズの殆どはちんぷんかんぷんなことが多いのと同じように。

そこは研修の中で触れた、別のコミュニケーションスキルを駆使して差分を埋めていくことに
なるのだろうが、自分にとってはそれが限りなく面倒くさい。
前提条件が合わないからこそ、コミュニケーションをする意義があることは理解している。
でも、あまりにも前提条件が違いすぎる相手に割ける時間は、現実、かなり限られている。
そこを面倒だと思わないようにしないといけないな、というのが直近の課題。
それが出来なきゃ、相手の中に答があるなんて信じられないから。
どうするよ、俺

自分の枠組み
他の人よりも、自分の枠組みが明確だと思う。
明確だから…というポジティブな側面と、明確すぎて…というネガティブな側面も
知識としては持ち合わせているつもり。
何故を繰り返して問題の本質を探る姿勢も然り。
それじゃ、何が足りないのか。
立場の違いが、足りない何かを浮き彫りにしてくれる。

オリジナリティ、アイデンティティという類の代物は、枠組みを如何に構築して
それを守っていくかにかかっている。
だがしかし、それらを守ることと、相手を否定するのは同意ではない。
相手を認めても、自分という存在が脅かされる訳でもない。
理詰めで相手を追い込んでも、望んだ答がもたらされる保証はない。
少し前に聞いた、賛同されなくても、とりあえず理解、同意をえることと似ている。
余裕があれば実践できそうだ。
幸か不幸かコミュニケーションの課題は身の回りに山積している。
後は、如何に余裕を作るか、だな。
話が聞きたい
自分から話をすることよりも、今は話が聞きたい。
誰でもいい、話をしてほしい。
今なら素直に聞けるはず。

誰にも頼れない。
誰にも叱ってもらえない。
優等生を演じるのは疲れたよ。
素の自分を押し殺しつづけることがこんなにもつらいなんて。

誰でもいい、話を聞かせて欲しい。
同じ理由、同じ結果
同じ原因で同じ失敗を繰り返すことがある。
いくら気をつけていようとも、失敗がなくなることはない。
だから、「同じ失敗」は起こりうるのであって、一度失敗したことが二度と起こらないなんて方がおかしい。
そんなパーフェクトな世界に、自分達は暮らしてはいない。

失敗が度重なると、提示される反省と再発防止の策は、どれも似たり寄ったり。
もう、枝葉の話しかしようがない位。
それを聞いて良しとするのか、それとも何かシステムとして問題があるのではないかと思いを
巡らせるのも結局、人間。
根幹を正さない限り、何度でも同じことは起こる。
そしてその度にどこかで聞いたような再発防止策が提示される。
その再発防止策が忙しくなって手が回らなくなり、他のトラブルを招く。
そうやって、どんどん仕様が細かく決められていく。

違うんだ、そんなんじゃない。
やりたいのはそんなことじゃない。
同じ原因で同じ結果がもたらされたとするならば、そこに潜んでいるリスクを潰すためには
聖域やタブーと呼ばれることに手を着けなければ何も変わらない。
御偉方のメンツだろうが、出来レースの結果だろうが、ひっくり返さなければならないことは
いくらでもあるはずだ。

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